大判例

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東京高等裁判所 平成元年(ラ)233号 決定 1989年9月21日

抗告人 古田貞雄

相手方 古田哲郎

主文

原審判を取り消す。

本件を東京家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  本件即時抗告の趣旨は、主文と同旨の裁判を求めるというものであり、抗告の理由は、別紙抗告理由書記載のとおりである。

二  当裁判所の判断

1  記録によれば、原審鑑定人宮城光一(以下「宮城鑑定」という。)は、抗告人(事件本人)の現在の精神能力について、「脳血管性精神障害に帰因する知的活動性の減退及び人格変化のため、心神耗弱の常況にある。」と鑑定し、その理由として、抗告人が昭和48年11月、○○大学医学部心療内科で初老期うつ病及び動脈硬化症の診断のもとに入院加療を受け、昭和52年9月、右側の中大脳動脈領域に高血圧性脳梗塞が発症し、国立○○病院で血腫除去手術を受けたこと、抗告人が昭和56年4月から5月にかけて○○市立○○病院へ通院して、極く少量の抗うつ剤の投与を受け、その後昭和58年4月まで、東京都立○○病院で、うつ病及び脳血管障害後遺症の病名のもとに入院(7日間)、通院して加療を受け、同年6月、急速に歩行困難、構語障害がみられ、次第に寝たきりの状態となり、国立○○病院へ約2週間入院し、同年7月から9月まで、○△病院分院で脳梗塞及びパーキンソン症候群の診断名で加療を受けたこと、現在症として、脳神経系では両視野に左同名半盲を認め、頭部CTスキャン検査により、右側の中大脳動脈領域に限局した陳旧性脳梗塞像が認められると同時に両側特に右側の著名な側脳室の拡大を伴つた全般的な脳萎縮像を呈し、両側内頸動脈及び脳底動脈にも部分的な動脈硬化像が見受けられ、脳波検査により、安静閉眼時の基礎活動は頭蓋前半部優勢な30マイクロボルト8~9へルツの広範に拡がるアルフア活動でかなり連続的に出現するなど全般的な機能低下及び右側頭、頭頂、中心領に限局する異常を示唆する所見が得られ、自己中心的、独善的に自己の意見を主張し、人間不信が強く、対人関係では敵対的、他罰的な態度をとりがちであること等を掲げている。

しかしながら、他方で、宮城鑑定は、抗告人の家族内には特記すべき既往歴、遺伝歴を認めず、精神障害に関する濃厚な遺伝負因の存在は否定しうるとし、習慣化した日常生活面では、行動、判断は比較的良好に保たれており、迂遠さ、保続傾向と了解の悪さを除いては、特別な言動もなく、人格の核心は比較的保持されているし、幻聴、幻視などのような知覚異常は認められず、離人症、させられ体験などの自我意識障害の存在は認め難く、躁状態でみられる観念奔逸、うつ状態で体験される思考抑制、精神分裂症に特徴的な滅裂思考及び思考途絶などは全く認められないとしている。また、○○大学名誉教授医師長嶋和雄作成の昭和62年7月5日付診断ならびに症状経過報告書(以下「長嶋意見」という。)によれば、同医師は、昭和60年2月8日、昭和62年6月15日及び同月22日の3回にわたり、他の医師、臨床心理士による諸検査を参考にして直接抗告人を問診した結果、現在、CTスキヤン所見では脳全体に年齢相応の萎縮が見られるがその程度は軽度であり、昭和58年6月に脳梗塞及びパーキンソン症候群と診断されたが入院治療により奇蹟的に回復していて、現在の精神状態については、躁うつ病は寛解状態にあり、全体として精神的老化は見られるものの、年齢を考慮すれば著しい減退とは言えず、人格水準の低下も軽微であり、日常生活上において支障を来たすような精神障害は認められないとしている。これらの諸点を考慮すれば、抗告人の現在の精神能力は、既往の病歴、手術の状況、年齢にかんがみ多少の障害があるとは認められるが、その程度を心神耗弱の常況にあるとまで断定するのは相当でなく、宮城鑑定の前記結論部分には疑問がある。

2  次に、記録によれば、原審鑑定人関谷正彦(以下「関谷鑑定」という。)は、抗告人の現在の精神能力について、「心神耗弱の常況にある。」と鑑定し、その理由として、抗告人の病歴につき宮城鑑定と同旨を記述したうえ、その間、抗告人が不必要な大量の買い物をし家族に送つたこと、多額の株式投資をして多額の損失(抗告人分約4億4000万円、会社分約3億5000万円)を受け、○○にリゾートホテルを新築して毎年6000万円ほどの赤字を出すようになつたこと、抗告人が2回にわたり家出をし、ホテル、マンシヨンに独り暮らしをし、妻香に対する離婚調停の申立て、相手方に対する告訴や訴訟の提起、自己の全遺産を○○学園に寄付する旨の遺言書の作成、抗告人の自筆又はワープロによる多数の宣伝文書の配布などがあつたとし、全般的観察による精神的現症は、抗告人は誇大傾向、自尊心増大、自制減弱と同時に相手方、香らへの敵対感情、被害念慮のみられる軽躁状態にあり、同時に老年期の器質過程に由来する現実判断能力、思考能力の柔軟性の低下を来たしていて、過去のできごとに捕われて執着し、頑固で、現実を吟味、対応する能力が減退しているとし、結局、抗告人は、自我復旧動向に基づき息子である相手方に対し頑強執拗に失地奪回闘争をなすもので、これは闘争パラノイアに準ずるものとみられ、昭和59年4月から躁病が続いて昭和63年7月には軽微になりつつあるが、向後平常になるか、再びうつ状態になるかは予断を許さず、躁うつ病、特に躁病による事実認識、判断力の障害は顕著であり、現在の総合的判断力の障害には軽微な老年痴呆も関与しているものと想定されるとしている。

しかしながら、記録によれば、抗告人は、商業学校を経済的理由により4年生で中退し、家業の果実食料品店の手伝いからはじめ、戦後、銀座にビルを建設し、昭和27年に創立した株式会社○○本社のほか関連会社3社も設立し、最近では、それらの資産が1000億円にも達するともいわれ、関谷鑑定で指摘されたような株式投資、ホテルの新築経営等は、抗告人にとつては通常の経済活動の域を越えたものであるとは認めがたく、それによつて損失を生じたからといつて、それをただちに抗告人の無思慮、無分別に帰することができるものでもない。また、相手方の本件準禁治産宣告の申立ては、昭和59年8月14日であることが記録上明らかであるところ、抗告人が弁護士を代理人として、相手方を横領罪で東京地方検察庁に告訴したのは、同年10月23日頃であり、抗告人が弁護士を代理人として、相手方ほかの者を当事者とする代表取締役、取締役、監査役職務執行停止、職務代行者選任仮処分命令申請、取締役及び監査役解任請求訴訟、株券返還請求訴訟を提起したのは、同年同月頃であり、抗告人が妻香を相手方として離婚を求める旨の調停を申立てたのは、昭和62年3月26日であることが記録上認められ、これらの告訴状、申請書、訴状等の内容を検討しても、あるいは記録中にある右訴訟事件の抗告人本人尋問調書を詳細に検討しても、抗告人のこれらの告訴、訴訟の提起等が自我復旧動向に基づく失地奪回闘争をなすものであり、闘争パラノイアに準ずるものであると断定することはできない。すなわち、抗告人の家族との不和、抗争あるいは会社経営をめぐる争いなどについて、家族や係争の相手方の側に何ら原因がなく、それがもつぱら抗告人の病的要因に由来するものであると断ずる根拠もないというべきである。そして関谷鑑定の指摘する前記のその余の事実を考慮しても、長嶋意見に照らすと、抗告人の現在の精神能力が心神耗弱の常況にあると断定するのは相当でなく、関谷鑑定の前記結論部分にも疑問がある。

3  以上のほか、記録を検討しても、抗告人が現在心神耗弱の常況にあると認めるに足りる証拠はないから、原審判は失当であり取消しを免れないが、相手方は、本件準禁治産宣告の申立書において、抗告人が異常な浪費を繰り返すことをも理由としているので、この点及び準禁治産宣告の必要性につき、更に審理を尽させるのを相当と認め、本件を東京家庭裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 野田宏 裁判官 川波利明 近藤壽邦)

抗告理由書

第1はじめに

東京家庭裁判所は、平成元年3月31日、審判を告知したが(以下、原審判という)、その内容については、本件申立の背景にある事件本人が形成してきた巨額の財産をめぐる紛争の実態に殆ど想到することなく、また宮城(62.5.25)・関谷鑑定(63.6.29)に対しても鑑定書に記された事実認定ないし判断の経過に立ち入って当該認定ないし医学的判断が合理的で適正なものであるか否かを検証することもせず、単に上記各鑑定書の記述を適当に抽出転記して作成したにすぎないものと評せざるをえない。

後述するように、上記各鑑定とりわけ関谷鑑定は医学鑑定として致命的な欠陥を内包するものであり、その認定ないし判断はまことに杜撰である(事件本人が、銀座○○ビルの4軒のテナントに対し明渡訴訟を起こしているなどという全く事実無根のことまで判断材料とされたりしている)。

もし鑑定人に対し、意図的に誤まった情報が提供されたとすれば重大な問題であり、抗告審においては、かかる点の事実関係も明らかにさるべきは論を俟たない。

(注)宮城鑑定・関谷鑑定に対する批判については、それぞれ62年7月13日付、63年8月12日付の各意見書を参照。

とくに関谷鑑定の疎漏杜撰ぶりは目に余るものがある。同鑑定人は、63年7月から心臓病治療のための入院を控えていたためか調査等については拙速主義が目立ち、青木ヨシ子のような重要参考人のヒヤリングも約束しておきながら一方的にキャンセルし、最重要視されていた58年7月12日~9月8日迄の○△病院入院時カルテの精査による除外鑑別診断も行なわなかったのである(脳梗塞パーキンソン症候群という難治性の疾病に罹患し、大小便垂れ流しオムツ着用という症状まで呈した事件本人は、驚異的な回復を示し、59年6月頃から情動能力も活発化してきた。このようなことから、長嶋和雄教授は、抗うつ剤の長期投与による副作用を強く疑っていたのである)。

もともと宮城→<外因性>、長嶋→<内因性>と専門家の判断が真向うから対立する結果となったため再鑑定が行なわれることとなったのであるが、再鑑定を委嘱された関谷鑑定人は、両者の考え方に対する比較検討を全く行なわなかったばかりか、事件本人に対するヒヤリングなども個人的な人生観・価値観の押し付けに終始するだけであった。

想像憶測(前述したような重大な事実誤認もある)を非常に多く混じえながら強引に『性格の偏り』を認定しクラーゲスの分類(これ自体、斯界の一学派の分類に過ぎない)への嵌めをはかることに紙数の大半を費やしている関谷鑑定は、肝心の判断根拠とした客観的診断指針=鑑定基準については殆ど論じていないのである。

しかも、鑑定期間と作成日が整合しないという司法鑑定にはまずありえないような初歩的ミスまで犯しているのである(こういう点からも如何に拙速主義的に作成されたものであるかが良く分かる)。

事件本人は、宮城鑑定・関谷鑑定ともに前記各意見書に縷述したように医学鑑定として致命的な欠陥を有するものであり、このような鑑定書が何らテスト検証を受けることなく認定の基礎資料とされるようなことは絶対にあってはならないと考え、原審裁判所に対し鑑定人に対する審問の実施を強く求めてきたのである(62年7月13日付意見書63年7月26日付証拠申出書)。

(注)我が国精神医学界の泰斗であり(資料<3>「研究業績目録」参照)、事件本人の既往歴調査や専門スタッフによる心理テストなどの結果を総合して事件本人が心神耗弱の常況にあるとは到底いえないとした62年7月5日付「診断ならびに症状経過報告書」(資料<1>)を作成した長嶋和雄○○大学名誉教授は、裁判所の要請があれば鑑定人との<対質>についても応ずる用意があると述べておられたので、この点も原審裁判所に上申しておいたのである。

しかし原審担当審判官は、終始「家裁事件においては前例がない」という理由で鑑定人審問等には消極的態度をとり、遂に原審においては人証取調は全く行なわれなかった。

その結果、事件本人が予想し危惧していたように、宮城鑑定・関谷鑑定の記述を適当に抽出し、それを平板に羅列したに過ぎないような内容の原審判が告知されることとなったのである(前記各意見書で極めて詳細に多々問題があることを指摘しておいたにも拘らず、原審判では鑑定書の結論がそのまま鵜呑みにされ、その実体に立ち入った判断はなされなかったのである)。

翻って、それが事実であるか否かは措くとして「家裁事件においては前例がない」という理由付けは、まことに空疎な一方通行の論理でしかない。

けだし、一般民事事件においても刑事事件においても鑑定書が顕出されただけで鑑定人証人尋問が実施されないなどというケースはまずないのであり(尋問による批判テストに耐えて始めてその鑑定書に証拠価値が認められることになる筈である)、ひとり家裁事件のみが別異に扱われるべき理由など見当たらないからである。

とくに第2以下で述べるように、事件本人の家族構成がかなり複雑であるうえに申立人ら「後妻ファミリー」との間には巨額の財産をめぐる深刻な紛争も起きているのであるから(63年9月1日付上申書参照)、本件についてはより慎重な審理が期されるべき然であり、如上のような原審の『前例』墨守の姿勢は極めて問題があるものと云わざるをえない。

事件本人は、このような原審審理の経過に鑑み、宮城鑑定・関谷鑑定が果たして認定の基礎資料となしうるものか否かを明らかにするため、当抗告審で審問を実施されるよう改めて強く求めるものである。

以下、原審判の問題点について各別に論及していくこととする。

第2本準禁治産申立の目的と背景にある深刻な親族間紛争について

原審提出資料からも明らかなように、事件本人の家族構成はかなり複雑であり、現在、申立人ら「後妻ファミリー」との間に深刻な紛争が起きている(昭和63年9月1日付および平成元年2月28日付の各上申書参照)。

それは、事件本人が一代で築き上げてきた資産時価約1000億円と云われる(株)○○本社株式の申立人による僭取に端を発したものであり、現在、申立人の母である古田香との離婚訴訟も東京地方裁判所に係属中である。

事件本人が築き上げてきた財産の一人占めをはかる申立人は、淳一・智一・久美子など他の兄弟ら(先妻の子)には一言の相談もすることなく本件申立をなし、取下要請も無視して本事件を遂行してきた(前記淳一らの上申書参照)。

もともと家庭裁判所は、仮に民法に定める要件が備わっている場合であっても、なお準禁治産制度の目的からみて、当該の場合にその宣告をする必要があるかどうかを判定すべきであるとされ〔我妻民法総則〔82〕、青林書院「注解家事審判法」134頁、その理由としては制度が濫用される場合が少なくないからであるとされる〕、本件のように不当な目的に利用されているときは申立を却下しうると解されている〔通説、「注釈民法」(1)303頁)。

本件にあっては、淳一・智一・久美子ら先妻の子供達は事件本人が心神耗弱の常況にあるとはつゆほども考えておらず(63年8月12日付意見書で詳述したように「性格の偏り」は心神耗弱に直接結びつくものではない)、準禁治産宣告など全く望んでいないことが明らかになっていたのであるから、裁判所は、まず本件申立の目的が奈辺にあるのかを紛争の実態に立入って探求解明すべきであった。

しかし原審裁判所は、このような問題に何ら想到することなく、事件本人と申立人との間の紛争については極めて平板かつ皮相な理解をしただけで審判を告知するに至ったのである。

とりわけ原審判2丁目の1(2)後半部分における紛争が勃発した原因・それがどうして裁判闘争にまでなっていったのかについての説示は、全く実情とはかけ離れたものである。

すなわち原審判は、上記紛争について「事件本人を○○本社の代表取締役の解任する取締役会の決議の動きもでている」などという曖昧模糊としたような説示で糊塗してしまっている。

しかし、申立人が事件本人の財産を殆ど一人占めするために、○○本社の株式を僭取し強引に代表取締役解任等に及ぶなど事件本人に対し先制攻撃を仕掛けてきたという厳然たる事実に目を覆うことは許されない(このようなことをされれば、激しい憤りを感じ訴訟その他対抗手段に出ようとするのは当然のことであり、迫害を受けながら易々諾々としていることのほうが異常である。訴訟等の対抗手段を採れるようになったのは、長嶋教授も指摘しているように59年6月頃から事件本人が急速に情動能力を回復してきたからなのである)。

また原審判3丁裏の「59年4月、・・・・・・申立人夫婦と暮らすようになってしばらくすると、一たん子である申立人への敗北感を口にするようになったあと、強気かつ短気な挙動を示すようになり・・・・・・ホテル住まいのあと、・・・・・・ひとり暮らしをするようになった」との説示も、まことに実情とはほど遠い短絡的な認定である。

敗北感云々は関谷鑑定人の間違った理解をそのまま引用したものであるし(63年8月12日付意見書7丁裏で鑑定人の理解が間違ったものであることを詳細に指摘しておいたのであるが)、59年7月事件本人が家を出るに至った原因(申立人が事件本人の銀行預金約1億円を勝手に移動したことが発覚したことから深刻な親子喧嘩となり、事件本人はホテルに居を移さざるをえなくなった)も全く欠落させられ、一言も論及されていないのである。

関谷鑑定は、客観的医学資料の検討評価を殆ど蔑にする一方で申立人の供述だけは無批判に受け容れたような内容のものであったが、前記のとおり原審判は鑑定書の中味を殆ど吟味しなかったため、結局、原審判は鑑定書を二重写したに過ぎないような内容のものとなってしまったのである。

いずれにしても、本件は複雑な様相を極めている事案であり、一方当事者の供述者のみを無批判に受け容れるということでは適正な判断は期し難いので、抗告審におかれては、申立人以外の親族や事件本人の身の廻りの世話をしてきた家政婦などの審問など改めて紛争の実態に立入った審理判断をされるよう強く上申するものである。

第3原審判(4)<1>の検査所見等に関する説示について

<イ>の「頭部CTスキャン検査」は宮城鑑定の記述を、また<ロ>の「脳波」の部分は関谷鑑定14頁の記述を、殆どそのまま転記したものであるが、精神医学について体系的な理解をしたうえでの説示であるかについては、かなり疑問のもたれるところである。

いずれにしても<イ>の点は、専門家の判断が真っ向から対立しているところであり、極めて重要な医学的争点である。

長嶋教授は、この問題について

i 59年8月3日付山下診断書の「うつ病(双極型)」は<内因性>であることを示唆するものであって、反応性うつ状態を意味するものではない。

ii CTスキャン検査では、脳全体とくに前頭葉には著明な萎縮など存在しない

(イに記されているようなものは、年齢に相応する程度のものであるし、52年9月脳内血腫除去手術にたる前頭葉侵襲もない)。

として、脳血管性精神障害に起因する全般的な脳機能の低下、知的活動の減退などはないと宮城鑑定の検査所見を明確に否定した(長嶋所見12頁、宮城鑑定19頁)。

このようなことから再鑑定が実施されることとなったのであるが、既に述べたように、関谷鑑定人は、両所見の比較検討を全く行なわないなど本来の職責を全く果たさなかったのである。

(注)結果的にみれば、第二回目の鑑定人選択に必ずしも適切ではない面があったことは否めない。関谷鑑定人が所属ずる○○医大は内因性精神疾患単一性説を採る千谷シューレの牙城とされるが、この学派については性格学ないし性格分類に偏しすぎる嫌いがあるという指摘が夙になされているうえに(とくにクレペリン系統の学派から)、関谷鑑定人自身、心臓疾患治療のための入院を控えており(63年7月)、腰を落ち着けて鑑定に取りくめるような状況にはなかったのではないかと思われるからである。

いずれにしても、長嶋教授の指摘について何一つ応答せず、両者の比較検討すら行なわないままに一方的に宮城鑑定書の所見のみを無批判に取りいれるなどということは裁判所の認定として余りにも偏頗であり、抗告審においては証拠調によって如上の点の当否が改めて問い直されるべきである。

(注)原審判は、<1><ロ>で「脳波の徐波化と左右差」に論及しているが(関谷鑑定14頁16行目にその旨の記載がある)、既述のとおり前頭葉侵襲はないうえに関谷鑑定人自身も「全体として異常所見はない」と記していることから明らかなように、特に問題となるような機能障ではない。

第4原審判(4)<2>の「テスト結果」、および同<3>の「全般的な精神的現症」について上記<2>のうち、<イ>鈴木ビネ式知能検査<ロ>WAIS検査<ハ>内田クレペリン検査などの記述は宮城鑑定に依拠したものであり(<ホ>文章完成テストなどについては一部関谷鑑定の記述を加味している)、同<3>の記述は殆ど関谷鑑定に依拠したものである。

そして、事件本人は、如上の検査の手法などについては多大の問題があるとかなり詳細に指摘してきたのであるが(前掲62年7月13日付および63年8月12日付の各意見書)、原審判はこれらの指摘について全く顧慮しようとはしなかった。

(注)そもそも宮城鑑定人は、専門スタッフをもちいないで心理テスト等を実施しているし、加齢による知的活動水準の低下などについても殆ど考慮していない(鈴木ビネ式は20代前半のものが最高値を示すテストであって本件には不向きな面がある。また長谷川式スケールなどがあるにも拘わらず「痴呆」の程度も書かれておらず、WAIS検査についても具体的内容の説明が全くない)。

また関谷鑑定人は、何ら『反面調査』(疫学調査における対照群設定に相当する)をすることもなく事件本人を訴訟パラノイアと決めつけたり、事件本人の作成文書を取り上げては「行為促迫」とか「観念奔逸」など論評し「大義親を滅する」などというまことに上スベリの議論までしている。しかし前記意見書でも指摘したように、事件本人が作成した文書については、調子は激越ではあるが(これは、申立人から余りにも過酷な仕打ちを受けたからであるが)論旨は通っており、内容におかしな点はない。関谷鑑定は、どの文書のどの部分が如何なる知見に照らして「行為促迫」であり「観念奔逸」であるのか何ら具体的な説示はしておらず、率直に内容まことに空疎と云わざるをえない。

いずれにしても、○△病院入院時カルテ等の精査による除外鑑別診断の重要性・不可避性に気が付かないようでは、医学鑑定として問題外である。

抗告審に対しては、拙速調査による主観的断定、予断や先入観あるいは個人的価値感などにより形成された結論の先行等々のような原審での鑑定の問題点を十分認識されるよう強く希求するものである。

第5結語

原審判は、宮城鑑定と関谷鑑定とをゴチャマゼに引用しながら、事件本人について「その精神能力は、・・・・・・失ってしまったとまですることはできないものの、『社会通常人』と比べると不完全なところに落ちこんでしまった」などと論述して、心神耗弱の常況にあるとの結論を導いた〔(5)2〕。

しかし、そこで云われている『社会通常人』というのは果たして如何なる状況認識能力ないし行動統御能力を具有する人間をさしているのか、また、そこでは加齢による知的活動水準の低下についてはどの程度考慮されているのか等々は全く明らかにされていないのであり、これでは単なる『空体語』でしかない。

事件本人は抗告審に対し、「すでに原審で2回も鑑定が実施されているから」というような思い込みをされることなく、清新の気をもって本件の審理に取りくまれることを強く希求し、擱筆することとする。

〔参考〕原審(東京家 昭59(家)7866号、昭63(家)9975号 平元.3.31審判)<省略>

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